水曜日, 4月 18, 2012

転ばぬ先の杖

「転ばぬ先の杖」と言います。これから何が起きるかを予想して、今から準備することは必要です。以前、「心は熱く、頭はクールに」という表題でブログを書きましたが、世の中の流れを自分本位で見ない、たとえば、なくなったら日本国民が大変なことになるから年金制度は絶対になくならない、なんてことは思わない方がいいですね。

 これからの社会は「増税」と「社会保障の縮小」という流れは確実のようです。これだけ日本財政が大変な時に、増税は避けられないし、国民サービスが減少するのは当然です。それは正しい、まちがっているという議論ではありません。間接民主主義の日本では、私たちが選んだ議員が国の方向性を決めます。私たち自身が何かができるというわけではありません。

 増税は、手取り額減少を意味し、社会保障の縮小は、医療制度改正による出費増加とともに、年金制度改正による将来の収入確保手段の先細りを意味します。 その背景には、なんでも国や制度に頼るのではなく、自分たちの足で歩きなさいという、自助努力という(言葉の響きはいいですが)、自分で何とかしなさいということに他なりません。

 一般の国民は、とくに給与所得者であるサラリーマンの方々は、このような意識はまだそんなに高くないと思われます。自分の給料の税金の仕組みもあまり理解していない、年金制度もよくわからない、保険なんて皆目わからないという状況で、このような自助努力を促す意識改革は難しいです。これが、財政再建という名の下での国民の切り捨てにつながると思われます。ついてこれる奴だけついてくればいいという感じです。外資系企業的発想なんていわれ、市場原理主義なんて言葉でも表現されますが、要は、考えている人だけが生き残り、何も考えていない人は切り捨てるという感じです。

 表現は露骨になりましたが、これからの時代は、まさに、このような、完全に格差社会を形成することになりそうです。それは、どの政党が反対しても、必ずなる未来予想図でもあるような気がします。

 その未来社会に生き抜くには「知的貧富の差」を克服し、「知っている」だけでなく、それを実践する「知恵」が必要になってきます。現実生活にいかに知識を反映させるかが重要で、それには当然リスクは伴います。このリスクをいかに許容するかという、柔軟な姿勢が望まれます。

 知識を得るには努力が必要で、勉強は大事です。知恵を授かるには、柔軟な姿勢をとるには経験が必要です。この両方を手にするには時間を味方につける必要があります。それは、少しでも早く実践することです。考え方をより早くスイッチを切り替え、より早く実戦モードにすることが重要です。そこから始めない限り、何も生まれません。

 転ばぬ先の杖、そんな杖を自分の武器とするためには、やはり時間がかかります。杖をより強固にするものは「知識」と「経験」のみです。