最近、ワークシェアリングの話題が取りざたされています。デフレ経済に突入した、バブル崩壊後においても、やはり、このワークシェアリングが取り上げられています。
日経新聞では、春季労使交渉に向けた前哨戦になる「労使フォーラム」は9日、産業別の労働組合首脳が協議方針を示して閉幕、雇用を維持するため働き手が労働時間を縮めて仕事を分かち合うワークシェアリングの議論が労使間で急浮上しているが、労組首脳はそろって慎重な姿勢をみせたと報じています。導入には労使双方が頭痛の種を抱えており、有力な雇用確保策というよりも苦肉の策の色合いが濃いとのことです。
バブル経済崩壊後は、正規雇用労働者を非正規雇用労働者に切り替えることで労働力全体は変わらなかったようですが、今回は、その非正規雇用労働者を減らすことで全体の労働力が縮小することになります。バブル経済崩壊後数年で、企業業績は回復しましたが、それは労働力の犠牲、下請け切りの上になりたっています。「企業が存続しなければ従業員のいる場所もない」などの論理で、まず、企業の痛みを修繕してから従業員に還元という立場でした。内部留保金が、2001年から2007年まで、約20兆円も増えたのに、従業員の給与は変動なし、その上、株主への配当は4倍以上も増えているのはどういうことかということを、民主党や共産党などの野党は訴えています。さらに、このワークシェアリングを主張しているキャノンの御手洗社長は、現経団連会長でもありますが、その大膝元の大分で、非正規雇用労働者1,000人の解雇と、1,000人の期間労働者の採用、いつでも首を切りやすい人に換えたとの批判を浴びています。
確かに、海外ではワークシェアリングでの成功例もあります。働く場所がなくなるよりかはマシ、収入がゼロになるよりかはマシ等意見、結局、働く時間が減る分お給料も減るという意見、様々です。雇用の多様化、労働機会均等なんて言葉で、古き良き日本の伝統が壊されているような気がします。自分の時間を見いだすのもいいのですが、それで暮らしていける資金力があればの話です。